皆さま、こんばんは。
ねじれ日本語教師のサナダです。
日本語学校の出張業務で中国の桂林で留学説明会を開催した後、俺は地元のKARAOKE007Xという怪しい夜のお店に連れて行かれた。
そこで俺は「駆けつけ三杯」とやらで、アルコール度数がウォッカやテキーラよりもさらに高い得体の知れない酒を飲まされた。
そこまでは、まあよくある中国出張の接待における光景だと思ったのだが、その後に通された奥の部屋に中国人美女100人がすし詰め状態の光景に俺は度肝を抜かれた。
そして、そこで留学説明会のプレゼンを再現させられ、その後はなんと「好きな美女を選んで日本に連れていけ」と言われた。そこで俺の記憶はぶっ飛んだ!
気がついた俺は、やけに静かで薄暗い部屋にいた。
はて?ここはどこだ??
部屋のドアは少しだけ開いていて、蛍光灯の明かりが差し込んでいた。俺はベッドに寝転びながら、その開いたドアから差し込む灯りを少しの間、ぼんやりと眺めていた。
部屋の外は台所に続いているようで、料理をする調理器具が、がちゃがちゃと音を立てていた。食材と調味料がからみ合う、万国どこにでもある調理の匂いが漂っていた。
開いたドアから旨そうな匂いが漂ってきた。鶏肉と野菜をじっくり煮込んだスープの匂いだ。
子どもの頃、熱をだして寝込み、薄暗くなった夕闇の中で目を覚ますと、母親が夕飯を作っている音が聞こえてくる、という感覚に酷似していた。
俺はふと、年老いた母親のことを思い出した。考えてみたら、母親の料理をいつから食べていないだろうか。いや、そもそも母親のことを考えたのは、いつぶりだろうか。
そこで俺は自分が心細くなっていることに気づいた。
そりゃ、そうでしょ。だって異国の地で、泥酔して、気づいたら知らない部屋に寝てて、この後自分の身に何が起こるか見当もつかない・・・っていう状況だぜ。
心細さを感じる一方で、俺は自分の身をこの流れに任せてしまおうという、一種の「諦め」を感じていた。
この出張中、いろんなトラブルがありすぎて、なんだかもう、色々と考えたり、心配したりするのが面倒になっていた。
け〜せら〜せら〜。
めちゃくちゃアットホームな家庭
俺はベッドから起き上がり、少し開いたドアを開けて、料理の匂いが漂う部屋に入った。
おはよーごじぇーまーす
え??誰???
純朴で見るからに人の良さそうな中国娘がにこやかに、そして穏やかに声をかけてきた。
俺はここがどこなのか、あなたは誰なのか、なんで俺はここにいるのか、俺をKARAOKE007Xに連れていった通訳兼コーディネーターのヤンさんはどこに行ったのか、色々と質問したい衝動にかられたが、
「おはよーごじぇーまーす」
の日本語レベルでは、意思疎通は無理だと早々に諦めた。
そして、促されるままに食卓についた。
食卓についた俺の前には、茶が出された。
俺はそれを一口飲むと、全身の強張った筋肉がほぐれていくのを実感した。
茶を飲んだだけで、ただそれだけで、ここが異国のどこだか知らない完全アウェイの場所であることを忘れ、まるで自分のホームであるかのように感じた。
俺が数杯の茶をゆっくりとすすっていると、野菜の炒め物が出された。空芯菜がふんだんに使われた料理だった。
俺は恐る恐る箸をつけ、口に運んだ。その瞬間、
旨すぎるだろ!!
思わず叫ばずにはいられないほど、美味しかった。
その皿を一瞬でたいらげると、すかさず熱々のスープが出された。
海老をベースにしたピリ辛の極旨のスープだった。
うまい、うまい、うまい、うまい!
俺は温かいスープに心も身体も温まり、テンションが急激に上昇していった。
つづいて鶏肉をガーリックと醤油で香ばしく焼いた肉料理がでてきた。
美味い、美味すぎる!!
俺は食べる前からこの肉料理の美味しさを確信したが、一口食べた瞬間、俺の想像をはるかに上回る絶品であることに心底驚いた。
そこで俺は気づいた。
そうだ、俺は腹が減っていたのだ。
俺は出される料理を片っぱしからすべて平らげ、ぱんぱんに膨れ上がった腹を落ち着かせるため、居間のソファに体を深く沈めた。
・・・。
な、なんだよ。。。
中国娘は穏やかな笑顔を浮かべたまま、無言で俺の方を向いていた。
そこで家のチャイムが鳴った。誰かが来訪したようだ。
通訳兼コーディネーターのヤンさんだった。
一般の中国家庭でホームステイ
ヤンさんの話によると、この中国娘は日本への留学を希望しているという。で、この娘の知人30人をまとめて留学生として日本へ連れて行ってくれないか、とのことだった。
俺は日本語学校の校長のヨダレを垂らした喜ぶ顔が脳裏によぎったが、それとは別で、日本でもこの凄腕料理人の中国娘の料理は、日本のレストランや居酒屋で重宝されるだろう、と思った。
俺はこの中国娘の留学について、前向きに話を進める旨伝えると、ヤンさんも中国娘も安心したような表情を浮かべた。
まあ、俺を半ば強引に拉致って、その後に飯で釣る、なんて姑息な手段ではあるが、まあ、それ以上に飯が旨かったからよいだろうよ。
すると、通訳のヤンさんが説明した。
それには、条件あるね〜。
「それ」ってなんだよ?
この中国娘と知人の30名を日本に留学させる条件ですよ。
どーいうこと?留学したいのは、そちらさんだろ?条件を設定するのは、こっちの仕事だろーがよ。
言ってることは、わからなくはないあるね。でも、そもそものすべての前提を整えるための、「条件」です。
俺はヤンさんの言ってることがよくわからなかったが、よくよく話を聞くとこういうことだった。
まず、この中国娘とその知人の計30名を安心して日本へ留学させるために、その留学先となる日本語学校の社員である俺を一定期間、この家にホームステイさせ、言動や態度、人となりをチェックし、信用に足る人間と判断できれば、晴れて留学を最終決定する、ということだった。
それって、監禁に近くないっすか!?
俺はめくるめく状況の変化に頭が混乱しながらも、なんとか抵抗しようとした。
が、すべての状況はすでにセットされていて、俺がわめいても何しても、この流れを変えることはできそうになかった。
そう、俺は半ば拉致され、監禁されたようなものなのだ。もしかすると、すべては日本語学校のあのうすら禿げの校長が仕組んだことなのかもしれない。
しかし、もし仮に校長が仕組んだことだとしたら、それはそれで俺の身の安全は保証されていると考えることができる。
俺は賭けで、この状況はすべて校長がセットしたシナリオ通りの展開であると信じることとし、この家でのホームステイを通して、俺が日本への留学招致を行う日本語学校の責任者として信用に足る人間であることを、この家の家族や親戚、地域の人々に証明することを承諾した。
で、いつまでホームステイすればいいの?
3年くらいですかね。
ふざけんな、こら〜〜〜!!
俺は全身の血がすべて頭に昇るのを全身で感じながら、怒鳴り散らした。
まあ、誰だってそうなるだろう。いわばこの状況は紛れもなく、「拉致」であり、「監禁」と同義なのだから。
すると通訳兼コーディネーターのヤンさんは笑いながら言った。
はっはっはっは、サナダさん、冗談ですよ。
そういえば来日前の出張オリエンテーションで禿げの校長が言ってたな。「現地では冗談なのか本気なのかを瞬時に見極める必要がある」と。ここでは、3年というのはヤンさんの冗談であるようだった。
でも、具体的な期間はとくに設定していないのは、本当あるよ。サナダさん、あんたが信用されれば、それでホームステイ終了ですよ。
は、はあ・・・。
でも、信用を得られなかったら、ずっと留学の許可は地域からも家族からも出ないでしょうし、あんたがあんまりにも怪しい人間と判断された場合、留学誘致の失敗だけでなく、サナダさん自身の身の安全も危ぶまれますので、そこはよくよくお気をつけて。
俺は、妙に真顔のヤンさんの表情と目線に、ごくっと生唾をのんだ。
そうして俺は、拉致され、監禁されたような状況下において、中国人一般家庭でのホームステイを始めることになったのであった。
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