皆さんこんばんは。
ねじれ日本語教師のサナダです。
俺はひょんなことがきっかけで大手複写機メーカーを退社し、日本語教師になった脱サラ組です。
”ひょんなこと”、といっても単純で、日本語学校にコピー機の営業に行ったとき、留学生の爆乳ロシア美女を目撃し、「こんな美女相手に教室の中でウハウハの授業したいぜ〜」という極めて純粋な想いと崇高な志から日本語教師になった。
そんな俺の、ハタから見たら「ただのセクハラ教師予備軍」としか思えない特性とメンタリティを、勤務先の日本語学校の校長に見抜かれてしまい(でも、その校長は俺を上回るヤバめなじいさんだったのだが)、俺は留学生の募集も担当させられることとなった。
海外現地の若者に留学の素晴らしさを紹介する説明会を開催し、日本に留学する学生を募集する業務だ。つまり留学斡旋の業務で、業界用語では「仕入れ業務」と呼ばれる。その仕入れのうち、まずは中国とウズベキスタンを担当することになったのだ。
人生初の空港と飛行機に浮き足立つ
俺は搭乗時間まで空港のラウンジでカレーパスタと赤ワインをゆっくりいただこうと思っていたのだが、俺の航空券はただの格安のエコノミークラスだったため、どうやらラウンジには入れないようだった。
ラウンジがあったので普通に入ろうとして、普通に止められ、普通に搭乗券を見せたら、普通に笑顔で入室拒否された。
とんだ赤っ恥をかいたぜ。
そう、俺は海外に行くのも、飛行機に乗るのも初めてだったのだ。
考えてみれば、そんな俺を海外に行かせて、そこで日本語学校に留学しそうな学生を集めてこい、ということ自体が無謀なのだ。しかもただの留学生じゃなくて、日本語学校が間接経営するキャバクラで働けそうな選りすぐりの美女を来日させる、というブラックな事情が裏にはある。
よろしくちょんまげ〜
俺は能天気な校長の顔を思い出すと、イラッとした。
それでも初めて手にしたパスポートを持って飛行機に乗り、海外に行くことにワクワクしていた。
初めての空港
俺は初めての空港内に浮き足立ち、免税店を見て回った。新鮮だった。普段、東京の街中では絶対に入らないような店にも空港免税店なら入ってみたくなるから不思議だ。ジュエリーや香水、トラベルグッズやネクタイ、土産物や電化製品、これらの免税店を見て回るだけでも十分楽しめた。
俺は土産物売り場で、これから行く中国とウズベキスタンの現地でお世話になるコーディネーターさんに渡せる手土産として、日本風抹茶クッキーを何箱か購入した。そして自分用にCASIOの目覚まし時計と、下痢止めの薬、爪切り(荷物に入れるのを忘れていた)、SONYのUSBメモリースティックを買った。
初めての飛行機
さあ、いよいよ搭乗時間。俺は少し迷いながらも出発ゲートに指定時間までに到着した。そして最後のパスポートチェックを通過し、機内に足を踏み入れた。
おー、わりと座席はゆったりだな、と思ったのは、機内先頭のビジネスクラス席を見て思った感想で、俺は機内後方の自分のシートを目にすると、その狭さに少しテンションが下がった。
でもまあ、スチュワーデスのお尻でも眺めていれば、それはそれで天国か。
と思い、気を取り直した。
俺は離陸前から機内に漂う機内食の匂いを嗅いで、朝から何も食べていないことを思い出した。早朝に成田空港に着き、搭乗時刻まで免税店をほっつき歩いていたので、時刻はすでに昼前だった。そういえば校長の出発前レクで「空港の時間感覚は通常の3倍速」とかなんとか言っていた。
考えてみると、今朝、空港に着いてからずっと現実感が希薄な気がする。なんか夢現のような状態というのか。この感覚をネーミングするとしたら「空港脳内イルミネーション」とでも言おうか。悪い気はしない。
いよいよ離陸。助走が最高潮に達した後、機体はふわっと浮いた。俺は柄にもなくドキッとした。好きな女性と目があったときと同じ感覚だった。機体はガタガタと震えていた。おいおい、大丈夫かよ、という俺の不安をよそに、機体はぐんぐん高度を高めていった。窓からは千葉県の田舎町が見えた。
これで少しの間、日本の地ともお別れだ。
俺は旅の無事を願って、機内食前のウェルカムドリンクサービスで白ワインをいただくことにした。
今回の出張経路とスケジュール
離陸から数十分で早々に機内食が配られ、俺は微妙な温もりの機内食を食べながら2本目の白ワインのハーフボトルを空けると、やることがなくなったので、今回の出張の経路とスケジュールを頭の中で確認してみた。
・まず、このフライトで香港に行く。
・香港から陸路で中国本土の広州に入る。
・広州から格安の長距離バスに乗ってそのまま桂林を目指す。
・桂林に数日滞在し、日本留学のプロモーションのための説明会を開催する。
・桂林から広州にバスで戻り、そこから飛行機で上海経由でウズベキスタンの首都タシケントに飛ぶ。
・タシケントからバスに乗り、サマルカンドに行き、ここでも日本留学のプロモーションのための説明会を開催する。
・サマルカンドからさらにバスに乗り、ブハラへ行き、そこでも同様に日本留学の学生募集を行う。
・そこからバスでタシケントに戻り、ウズベキスタン航空の成田までの直行便に乗る。
うーん、ハードな出張だな。俺はこのスケジュールで出張旅程を組んだ校長を改めて恨んだ。
うひゃひゃひゃ〜、よろしくちょんまげ〜。
これは2006年当時の話。まだスマホもなく、インターネットのWiFiが完備されているホテルもほとんどなかった時代(時代と呼ぶには少し大袈裟だけど、それでもIT革命前後では時代感が全く違う)。
俺は情報のない各国現地で様々なトラブルを抱え込むことになるのだった。
<つづく↓>
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