皆さんこんにちは。
ねじれ日本語教師のサナダです。
俺は都内の日本語学校で日本語を教える日本語教師。
のはずが、前職の営業マンとしての経験を買われ、海外現地で日本語学校の留学生募集を行う留学斡旋のプロモーションも兼任することになってしまった。
留学生を募集するただの仕入れ業務ならまだ良いのだが、俺のミッションは少し複雑かつブラックだった。日本語学校が間接営業する都内のキャバクラで働ける現地の美女を留学生として来日させる、という裏ミッションを託されたのだ。
セクシー美女を連れてくるのじゃ〜。
無茶振りにもほどがあるし、どう考えても無謀だった。俺は海外に行くのも初めてだったし、経費削減とやらで移動費をケチられ、めちゃくちゃ過酷な経路で旅程を組まれてしまった。
なんで桂林に行くのに、飛行機で香港に入ってから、そこから陸路のバス移動なんだよ・・・。
海外で出会う日本人は、日本では出会えない日本人
俺は昼着の便で香港に降り立った。日本は3月で季節は冬と春の間だったが、香港は普通に夏だった。俺は羽織っていたジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖をまくった。
入国審査の列に並んでいると、後ろからバックパッカー風の日本人男性が話しかけてきた。
出張ですか?
ええ。
僕は一人旅です。花粉症がつらくて海外に逃げてきたんです。
はあ、そうですか。
だから、あんまりジャケット脱いだりして服についた花粉を撒き散らさないでください。
な、なんなんだ、こいつ。
そういえば校長が言っていた。海外には変な日本人と遭遇する機会も多いだろうと。相手にしてはならぬと。一方で、日本では出会えない大物やエリート、また、一生の仲になるような気の合う仲間との出会いもあるかもしれないと。
いわゆる、吊り橋効果ってやつじゃ。
香港から、いざ中国本土へ
俺はできることなら香港の町で数日滞在し、その活気に満ちた町の熱狂に身を浸したいとも思ったが、今回はあくまで出張だ。すぐに中国本土の深センに入り、そこから広州を目指さなくてはならなかった。
俺はよくわかないまま、なんとか中国本土の深セン行きのフェリー乗り場にたどり着き、チケット売り場に並んだ。
ヘイ、ミスター。中国に行くのかい?
列の後ろの香港人の兄ちゃんが英語で話しかけてきた。どうやら俺は海外では、列に並ぶと必ず後ろの人に話しかけられるタチらしい。
ええ、そうです。
悪いことは言わないから、やめときな。香港に引き返した方がいいぜ。
な、なんでだよ?
あっち側は治安が悪すぎる。盗みや詐欺も珍しくないぜ。
俺はそれを聞いて一瞬、香港に引き返そうかな、とも正直思った。しかし、気ままな観光旅行ならまだしも、明確なミッションを抱えた出張である以上、行かないわけにはいかなかった。
中国本土は曇り・・・モノクロの世界
俺は深センに着くと、広州行きのバスに乗りこんだ。
バスから見える中国の景色は灰色だった。香港のきらびやかで多彩な色にあふれた町並みを目にした後だと、余計に色彩を欠いて見えた。
曇り空、コンクリートむき出しの建物、舗装していない岩や石ころがあらわになった地面、作業服や人民服の人々、そして巨大な力の支配下にあるような人々の表情。
俺はバスの車窓に流れるモノクロの世界を眺めながら、これまで世界史やテレビのニュースでしか見たことのなかった中国という国に来たことを実感した。
この国の内陸に足を踏み入れれば踏み入れるほど、何か漠々とした不安が頭をよぎり、過呼吸になりそうだった。ちょっとやそっとじゃ抜け出せない世界、それが中国大陸であるような気がした。北京や上海ならまだしも、内陸からだと何かあってもすぐには日本に帰れないと思うと、胸がざわついた。
深センから広州へ向かうバス移動が夕刻に差し掛かる頃、俺の漠然とした不安は最高潮に達した。すべてが夕闇の中に溶け込み、二度ともとには戻れなくなるような感覚に陥った。
広州の河沿いに見つけた中国人の日常
バスが広州のバスターミナルに到着したときには、辺りはもうすっかり夜になっていた。俺はバスから降りて、広州の町の中心部に向かった。
町の中心部には幅の広い河が流れていた。俺は今晩泊まる宿を探しながら、河沿いを一人歩いた。
不思議なことに、河沿いを歩いていると、バスの中で感じていた中国に対する漠々とした不安は薄れていった。
河沿いは、あたたかな白熱灯の裸電球が連なり、まだ寒さの残る3月の広州の町並みを穏やかに照らしていた。
また、電球に照らされた河沿いでは、広州に暮らす人民たちの日常を垣間見ることができた。家族連れで歩く人民、また友人や恋人と過ごすひとときを、それぞれが思い思いに過ごしていた。
そんな日常の光景を目にしていると、あたりまえだが中国にも素朴な暮らしの中に生きる素朴な人々がいることに気づかされ、中国に親しみを感じている俺がいた。
河沿いのどこからか聴こえてくる二胡の音色を耳にすると、懐かしささえ感じた。
広州で泊まるホテルを探す
俺は広州の中心部に流れる河沿いの光景に旅情緒を刺激されながらも、さすがに丸一日の移動の疲れを感じたので、ホテルを探すことにした。
とりあえず、荷物を下ろして横になりてぇ。
ただ、初めての町ですぐに手頃なホテルを見つけるのはなかなか難しく、俺は人民に声をかけ、適当なホテルを教えてもらおうと考えた。
ニーハオ。i am looking for a hotel, so do you know any hotel around here? I prefer not too expensive ones.
俺は英語のわかりそうなビジネスマン風の若者に声をかけて訊ねた。
ちゃんちゅーしゅーすぇー、うぇんしゅーしゃーちゃんてきとーなーちゅーごくご〜。
何だよ、わかんねえよ。sorry, i can not understand your language.
ちゃんちゅーしゅーすぇー、うぇんしゅーしゃーちゃんてきとーなーちゅーごくご〜。
相変わらず理解不能な中国語をまくし立ててきやがる。いったいなんなんだ。
困惑する俺に向かって、今度は河沿いに建ち並ぶ建物を指差すジェスチャーをしている。
その建物の方向を見てみると、どの建物にも、
◯◯飯店
とか、
◯◯酒店
という、きんぴかな看板がでかでかと掲げてあった。
こいつ、hotelっていう英単語もわかんねぇのか。俺は飯屋を探してるわけじゃねえんだよ。
聞く相手を間違ったな。
すると、その人民サラリーマンは俺の腕をつかみ、強引に引っ張って一番近くにあった「飯店」を目指した。俺は無理やり引っ張られるまま、その飯店に入ると、意外にも意外、なんと建物の中はビジネスホテルだった。
な、なんで??
◯◯飯店にチェックイン!
フロントの受付には、夕食中の若い中国人女性がいた。
なんで受付で飯食ってんだ?とも思ったが、かわいらしい娘だったので、まあ良いことにした。
何泊するの?
受付の女は食事を摂りながら接客を始めた。
と、とりあえず一泊。
俺がそう返答すると、フロントの娘は「歓迎」と言って、かわいい笑顔を見せた。
しかし、次の瞬間。俺の顔面の目の前かなり近いところで、まったく悪びれもなく、まったく顔をそらそうともせずに、
ゲフッ!!
と、どでかいゲップをかましてきやがった。
あなた302号室。これ鍵ね。
俺は苦笑いを浮かべながら、「謝謝」と言ってなんとか平静を装った。
睡眠を妨害する電話のベル
なんとか広州での宿を確保したものの、想定外ばかりの一日に俺はクタクタになった。
その晩はシャワーを浴びてベットに横たわると、そのまま眠ってしまった。
朝までぐっすり・・・眠ることができれば、どんなによかっただろうか。明日もまた過酷な移動があることを考えると、しっかりと睡眠をとり、体力を回復させる必要があった。
しかし、そんな俺の個人的な思いとは裏腹に、夜中に何度も部屋の電話が鳴り響き、意味不明の中国語をまくしたてられた。
電話線を引っこ抜いてでも、おとなしく寝ているべきだった。初めての海外、初めての中国、初めての夜なのだ。
ただ、眠りを妨げられた怒りと疲労と困惑が極限に達し、冷静な思考ができなくなっていた。俺はまんまとその電話につられ、中国の夜の街に繰り出すことになるのだった。
<つづく>
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