元技能実習生アリフさんのライフストーリー【第2話】

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【第2話】ストレスで眠れない日々とトイレで流した悔し涙

受入企業での技能実習が始まった1年目

高校時代に学んだ溶接技術が役立った

千葉県での訪日後研修を経て、いよいよ技能実習生一団はそれぞれの受入企業先に向かうことになった。共同生活を続け、志も同じくする一つの共同体は、日本各地へと離散した。

アリフさんの受入企業となった会社は、関西にある火力発電所のボイラーを作る工場だった。

「僕の実習先の受入企業には、同期のインドネシア人15名が一緒でしたので、とても心強かったです」

受入企業先での生活は快適で、部屋も新しく、テレビに冷蔵庫と、家具も揃っていた。同期15名は同じアパートに二人部屋で各部屋に割り振られた。

1年目は工場には入らずに、溶接の訓練を受けることになった。

「僕は高校時代、工業高校で溶接を学んだことがあったから、それがここで役に立ったんです。どんな経験もいつか役に立つっていうけど、それをその時に身をもって実感しました」

溶接の実技試験

1年目は訓練所でずっと溶接などの訓練が続いた。1年目の最後にJISの溶接実技試験があり、合格したら翌年から工場に入れることになっていた。

「同期の15名みんなが無事に合格するか心配でした。だって、一人でも試験に落ちて、工場に入れなかったらかわいそうじゃないですか」

1年間の訓練が実を結んで、無事に15名全員合格した。

「あのときは嬉しかったな。みんなでみんなの喜びを共有できるって、そうないじゃないですか」

そうして、1年目から2年目へのステップを踏むことになったアリフさんたち。

ストレスで眠れない日々を過ごした2年目

2年目からは工場に入り、実際の工場の作業に着手するようになる。

「1年目から2年目になって変わったことは、もちろん訓練所から工場に入ったこともそうですが、給料が1年目と2年目とで大きく違うんです。やっぱり給料アップは素直に嬉しかったですね」

工場での仕事は主に溶接の仕事。冬場は温かくていいが、夏場は上昇した工場内の温度が体力を奪う。

「でも、しんどい、なんて言ってられませんでした。溶接に不備がないよう、すごく気を使う仕事でしたから。最初のうちは責任が重圧のようにのしかかって、眠れないほどにストレスを感じていました」

溶接は作業が終わってすぐには品質を検査できない。後日、他社の検査官が入り、溶接の品質検査をし、もし欠陥があった場合は直ちに日本人の先輩社員がそれを修復することになっていた。

「欠陥を出すことで、迷惑をかけることになるし、恥ずかしいことだと思っていたので、欠陥を出さないように細心の注意を払っていました。それがもう相当なストレスでした」

トイレで流した悔し涙

技能実習2年目は、アリフさん含め同期15名全員にとって、大変な時期だった。

「訓練所や工場で日本人に怒られて、みんな宿舎に戻ってよく泣いていました。日本人は滅多に怒らないけど、怒ったときはすごく厳しい。怒られる度にとても落ち込み、もうインドネシアに帰りたいと何度も思いました。部屋に戻って、トイレに駆け込み、誰にも見られないようにこっそり泣いていました」

しかし月日を重ねるうちに、少しずつ仕事の乗り越え方がわかってきたという。

「焦らず、目の前の段階をひとつずつ乗り越えていくことが最善だと気づいたんです。それがわかってからは、精神的にも落ち着き、やるべきことがなんなのかが、明確になったような気がしました」

最初のうちは、溶接の欠陥を出すことも多々あったが、そのうちにアリフさんは持ち前の真面目さと集中力で溶接の腕を上げ、欠陥を出すことはほとんどなくなった。

日本の経済活動の中に身を置く実感

仕事に慣れると、夜勤にまわることも多くなった。

「一週間夜勤で、次の一週間は昼勤。そしてまた夜勤、という昼夜がひっきりなしに逆転する生活は大変でした。僕は夜の仕事はあまり好きじゃありません。やっぱり夜は眠った方がいいです。それに冬の夜中の工場はとても寒くて大変でした」

工場が忙しいときは残業もあった。

「日本の経済に比例して、忙しさが違うことから、自分が日本の経済活動の中に身を置いているんだんと実感しました」

第3話につづく

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