みなさん、こんばんは。にほんごまるです。
緊急事態宣言が解除されたせいで、毎週のように大阪出張してます。もう新幹線乗りたくない…
で、大阪に行くたびに「やっぱり大阪のエスカレーターは左側通行なんだなあ」と実感する。
でも東京生まれ東京育ち、悪そうな奴はみんな友達の私なんかは、エスカレーターに乗るとどうしても無意識に左側に立ってしまう。
それを大阪なんかでやると、後方から来た人に舌打ちされる。
舌打ちくらいならまだしも、
アンタ、邪魔やで!
とインド人もタジタジになると言われる強烈な大阪人に叱責されることだろう。
でも、そもそもなんで日本の東西で、エスカレーターの追い越し側が右と左とで違うの??同じジャパンなのに。
今日はそのことについて、まだ誰も知らない本当の理由をご紹介します。
東京のエスカレーターはなぜ右側通行なのか
これはすでに議論されつくされていますね。
一番有力な論は、江戸の侍たちは常に刀を持ち歩いていて、武士道の象徴である刀を守るために歩くときは常に左側に寄って歩いていたそうです。だから、必然的に道の右側にスペースが生まれ、追い越す人は右側から追い越すことが習慣化され、それがいつしかマナーになっていったんだとさ。
で、それがなんで逆に大阪では左側が追い越し通路になってんねんって話ですよね。
大阪のエスカレーターはなぜ左側通行なのか
その昔から、大阪は多くの商人で賑わっていた。
もうかりまっか〜
ぼちぼちでんな〜
そんなやりとりが日常的な挨拶にまで浸透するくらい、大阪の街は商人でごったがえすほどの賑わいでした。
みなさん、商人って聞いてどんな姿を思い浮かびます?
ビジネスマンじゃなくて、商人です。
そう、やっぱり左手に台帳、右手に筆を持った姿じゃないでしょうかね。
メモをとる際、後ろから来た人に筆を持った手をぶつけられたら、重要なメモがとれなくなってしまいます。商人にとって筆を持つ右手は重要な記録を残す手であり、その手の動きを邪魔する=商売妨害であるとされていました。
商人にとって記録を残すことは命の次に、いや命よりも重要なことでしたので、右手は絶対に守らなければいけなかったのです。つまり、江戸の侍にとっての刀が、大阪の商人にとっては筆だったのです。
大切にするものの保持位置が東京と大阪では真逆だったのですね。
だから、大阪では人を追い抜くときは、商人が筆を持っている右側ではなく左後方から追い抜くことが習慣化され、それがいつしかマナーとなっていきました。
大阪の古くからある小学校の運動会では、リレー競走が通常とは逆方向の時計回りとなっていて、追い抜くときは外側=左側から追い抜くというルールになっているんだとか。
まとめ
ということで、本日の記事では、どうして大阪のエスカレーターは、左後方から追い越すのか、その理由を解説しました。
結論:
大阪は昔から商人の町として栄え、その商人にとって筆を持つ右手は重要な記録を残す手であり、その右手の動きを邪魔しないよう、人を追い抜くときは左後方から追い抜くことが習慣化され、それがいつしかマナーになっていったんだとか。
以上、にほんごまるでした。
コメント