誰も興味ないパラグアイ政治情報②ルーゴまで編

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こんばんは、にほんごまるです。

今日は誰も興味ないパラグアイ政治情報の続きです。きりの良い赤党の敗北までを記事にしたいと思います。

はじまり、はじまり〜

「さよならトランク野郎」の後は、憲法の改正が行われ、大統領の任期は5年で、再選は認められないことに。

1993年新憲法のもと、クーデターを起こしたロドリゲスの後押しによって、ワスモシというさえない名前の新大統領が39年ぶりに誕生。

でも、あんまりつかえなかったから、1996年にリノ・オビエド(今回新党から立候補している)がクーデターを企んだが、周りの目を気にして断念。「根性なしの1996」としよう。

1998年の大統領選挙に向けて、赤党(=前述のコロラド党)内候補争いが激しくなり、結果暗殺という惨事に。

赤党内の争いというのは、「根性なしの1996」のオビエドと、アルガーニャという後に殺される二人が党内候補を勝ち取るために争う。結果は、「根性なしの1996」のオビエドが勝ったんだけど、あまりにも「根性なしの1996」が根性なしだったという理由で有罪禁固刑で、大統領候補の座を剥奪される。

赤党の大統領候補が刑務所に行った、ということで副大統領候補のクーバスが大統領候補に自動的に繰り上がり、空いた副大統領候補のポストに「根性なしの1996」に敗れたアルガーニャが就く。

この臨時的応急的赤党のコンビが選挙に勝ってしまった。そのまま突き進めばいいものの、大統領クーバスは「根性なしの1996」のオビエドを刑務所から出そうと動いたため、赤党内がごちゃごちゃに。

大統領の権力つかっちゃうもんねー、ということでクーバス大統領は「根性なしの1996」のオビエドの釈放に成功。オビエドの宿敵だったアルガーニャ(副大統領)が怒って、国会は混乱する。赤党内の問題だけに留まらず、野党もブーイング。

歴史的な流れでは、ここでクーバス大統領が凶弾に倒れるという筋書きが用意されているはずなのに、アルガーニャが暗殺される。クーバスへのブーイングは増して、ストが起きたり市民も抗議運動を開始。これに対して逆ギレしたクーバスは軍と戦車で市民を弾圧。

よっ、現代版の天安門!

やりすぎた、って思ったかは知らないけど、その後すぐにクーバスはブラジルに亡命。亡命すればいいってもんじゃないぜ、パラグアイの政治家さんたちよ。

大統領は亡命し、副大統領は暗殺されるという、異常事態となったのである。

憲法によると、大統領・副大統領ともにいなくなった場合は、上議院議員が自動的に大統領に昇格することになっていて、ゴンザレス・マキが就任。副大統領は、選挙で決めることに。当選したのが、野党に属するフリオ・セサール・フランコだった。

もうとんでもないくらいどうしようもない政治だ!とブーイングを受けたのがゴンザレス・マキ。まあ、しょうがないぜ。なんせ非常事態での自動昇格での就任だからね。それで辞任できればよかったんだけど、辞任したら、副大統領のセサール・フランコが大統領に昇格する=野党である青党(リベラル、日本でいう民主党みたいなものか)に政権をみすみす受け渡すことになってしまうので、ゴンザレス・マキをしょうがなしに赤党は支えた。

もうこんな政治は嫌だ〜!ということで、2003年の大統領選挙は「頑張る政治家」が望まれた。与党である赤党内での候補者は、オズワルドとニカノール。オスワルドはパラグアイ一の人気サッカーチームのオリンピアの会長で、選挙の前にオリンピアのチームはトヨタカップに出場し、あのレアルマドリーと対戦。これにオリンピアが勝ったらその会長であるオズワルドの当選は間違いない、と言われていたが、やっぱりレアルは強かった。オリンピアは負けて、オズワルドも落選しちゃった。「試合に負けたらホニャララ半島で決死しろ」というどっかのナショナリズムよいしょの国のノルマ設定を真似てみたらよかったけど、結局レアルは強かった。

レアルマドリーのおかげ(?)で赤党候補代表となったニカノールは、もちろん大統領選挙でも当選。

もうおわかりだと思うけど、赤党が勝つ仕組みになってたそうです。

2003年の選挙で大統領となったニカノール。望まれた「頑張る政治家」のイメージとは真逆で「頑張らない政治家」とみんなに酷評されまくり。貧困率は少しましになったそうだが、未だに30%を上回る。

そうして、2008年の大統領選挙。与党の赤党からは、女性のオベラル。野党の青党からは元司教の聖職にいたルーゴ。「根性なしの1996」のオビエドがオビエド党から立候補。他、赤党の数票コントロールで利用されるべくして候補者となったファドゥル。

過去に例を見ないくらいに、野党である青党優勢の事前世論調査の結果が出たにも拘わらず、「絶対にあり得ない。どうせ最後にちょろまかして赤党が勝つんでしょ」と国民は諦めムードだったが、数十年ぶりに青党が勝利したのでした。

でも、このルーゴ大統領、ただのヤリチンだったみたいで、司教なのに隠し子が数十名いたようで・・・。

以上、パラグアイの政治情報②でした。こんな話、日本で誰か興味ある人いるのかな。

以上、にほんごまるでした。

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