新卒でコピー機メーカーに就職した俺は、新宿のとある日本語学校に訪問営業した際、爆乳のロシア美女に遭遇し、日本語教師になることを決意した。
会社を辞めた後で、日本語教師になるための要件があることを知り絶望したが、それでも爆乳のために日本語教育能力検定試験を受けることにした。
今回は、タイトルにもあるとおり、俺が3ヶ月でどのように合格に至ったのか、お話したい。
合格への完璧な学習計画
俺が会社を辞めたのが7月末。10月下旬の試験当日まで約3ヶ月。どのように勉強を進めていくか、計画を立ててみた。
① まず、最初の1ヶ月目で、合格問題集を通しで2回読む。
② 次の2ヶ月目で、自作の合格ノートを作成する。
③ 最後の3ヶ月目で、その自作合格ノートを徹底的に覚える。
俺はパソコンを開き、エクセルでこの試験勉強スケジュールを表にした。すると、なんだか合格に一歩近づいた気がした。
俺はこれから3ヶ月の猛勉強のことを考えると、武者震いさえした。
よし、この計画を遂行し、俺は試験勉強の鬼となり、1分1秒を無駄にすることなく、勉強に没頭しよう。
俺は完璧な計画と自分の断固たる決意に満足し、今日のところは休息し、英気を養うことにした。
明日からの猛勉強の日々を前に、俺は景気づけに昼間からビールを開けた。
プシュッ!
昼間からビールを飲めるこの開放感。俺は会社を辞めて本当に良かったと、改めて実感した。
俺は次の日も、景気づけにプシュッ、と昼間からビールを飲んで過ごした。まだまだ大丈夫。俺には一日24時間 x 3ヶ月の自由な時間がある。
ゲフッ!
真夏の強い日差しが差し込む俺のワンルームの部屋に、間抜けなゲップが響いた。
そして、次の日もプシュッ!その次の日もプシュッ!
堕落への道
俺はそれからというもの、毎日昼間からビールを飲んで、ゲームをしたり映画を観たりして過ごした。
そして、気がついたときには、2ヶ月が過ぎていて、なんと10月になっていた。
10月だと!?
やべぇ。
うすうす気づいてはいたが、マジでやべぇ。
池袋のジュンク堂で買った問題集は、書店のビニール袋に入ったまま、1ページもめくっていなかった。
俺は試験当日までの日数を数えてみた。21日間。
さ、さ、さ、3週間しかねぇ!
3ヶ月あったはずの時間は、いつの間にか3週間になっていた。
ネバーギブアップ
俺はエクセルでつくった試験勉強の計画表を修正した。
① まず、最初の1ヶ月→1週間目で、合格問題集を通しで2回読む。
② 次の2ヶ月→2週間目で、自作の合格ノートを作成する。
③ 最後の3ヶ月→3週間目で、その自作合格ノートを徹底的に覚える。
だいぶ計画が短縮されたな・・・。
俺はふと、「自分のオリジナルの人生を生きる」というイメージを思い出した。
俺は5年もの間、会社のために、時に血尿を出しながらも頑張ってきた自負がある。なぜその努力を自分のためにできないのか?
自分の人生を生きるというのは、会社や上司のために頑張るのでなく、自分のために頑張って、自分の価値を高めていくことなんじゃないのか?
その時、俺の中で何かがパチンと音をたてた。そう、勉強モードのスイッチが入ったのだ。
その瞬間から俺は、一心不乱に日本語教育能力検定試験の勉強に没頭した。もう昼間からビールをブシュッとやることもなく、ロシア美女の爆乳を想像することもなかった。
正直、いったい何を勉強したのかは、よく覚えてない。ただただ問題集の内容を片っ端から理解し、覚えるということを繰り返していった。
3週間での奇跡的な合格
俺は試験当日、ひどい下痢に悩まされたが、正露丸を飲み、成人用オムツを薬局で購入し、覚悟をもって臨んだ。
それから約2ヶ月後、俺は郵便で日本語教育能力検定試験の合格通知書を受け取った。
俺は試験に合格したことよりも、これでロシア美女がうようよいる教室で、彼女たちの爆乳に圧倒されながら過ごすことができることに、心底、興奮していた。
フォ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!
そのようにして、俺は奇跡的に日本語教育能力検定試験に合格し、日本語教師の道を歩み始めることとなった。
次回は、俺が日本語教師として日本語学校で働くため、新宿の日本語学校で面接を受け、模擬授業をしたときのお話です。
<つづく>
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