俺は不純な動機から会社を辞めて日本語教師を目指し、3週間の勉強で奇跡的に日本語教育能力検定試験に合格し、日本語学校の面接ではまぐれで採用された。
俺は、「日本語教育の神」に手招きされてるとしか思えなかった。今日は、そんなノリに乗った俺が初めて日本語学校のクラスで授業をしたときのお話。
ガチガチのクラス主任
採用が決まった数日後、俺は日本語学校に呼び出された。
はじめまして、クラス主任の福田です。
見るからに融通の効かなさそうなクラス主任が俺に挨拶をした。
えー、まず本題から。第一に私はクラス主任でー、あなたは副担当。第二に私はベテランでー、あなたは新人。第三に私は経験豊富でー、あなたは経験ゼロ。第四に…
「でー」にイラッとしたが、なんとか話を最後まで聞くと、つまりこのガチガチのクラス主任のクラスの一部を俺は担当するようだった。
面倒なことになる予感しかしねえ!
シフト表を見ると、3月の学期末まで、月〜水をクラス主任が担当し、木・金を俺が担当することになっていた。
週休5日じゃねぇか。しかも出勤は午後からの半日だ。
えー、自分のノルマは100%消化すること。これは絶対です。
ノルマだと??
自分の担当する課や学習項目のことです。既習課の語彙・文型は、すべて入れてから引き継ぐこと。
す、すみません、「いれる」って、何かのボックスに入れるんでしょうか?
学生の頭の中に決まってるじゃないですか!彼らの頭は入れ物で、そこにどんどん語彙や文法の知識を入れて日本語能力を積み上げていくんです!
はあ…
あと、学生と話すときは、既習の語彙や文型だけを使って、絶対に未習の語彙や文型は使わないでください。学習の妨げになりますから!
へぇ…
もちろん英語などの媒介語もダメです。日本語は日本語で教えて、母語話者の日本語教師が絶対的な優位に立つことが重要です。
はぁ…
それと、授業では、教師も学習者も教案に書いた発話だけ許されます。教案で想定していない発話は、厳禁です。
これは悪夢か。
俺はすべてに圧倒的な違和感を感じたが、とにかく面倒なこの状況から早く解放されたかった。
揺るぎない信念を忘れるな
クラス主任との会議が終わる頃には俺のモチベーションはダダ下がり状態になったので、とりあえず中野に飲みに行った。
それにしても日本語教師ってのは、ホントにそんな仕事なのか?だとしたら、俺には無理だろ。酒を飲みながら俺は考えた。なんで俺はそもそも日本語教師になったのか。
そうだ、俺には爆乳がゆっさゆっさ揺れる教室で、美女たちに圧倒されたいという揺るぎない信念があったじゃないか。
俺は初心を思い出し、なんとかモチベーションを保った。
初めての日本語授業
俺は教室のドアの前で、ついに日本語教師デビューすることに震えが止まらなかった。
武者震いだ。
このドアの向こうに、メロンかスイカをふたつほど胸に携えた美女たちが俺を待っていると思うと、なんだか風俗店に入店するときのテンションになった。
感慨深いぜ。
俺はドアを開けて教室に入るなり、自分が浮き足立っていることに気づいた。
教室を間違えたのだ。
俺としたことが、日本語のクラスとは全然関係ない部屋に入ってしまったようだった。
ちがう、ちがう。えーっと、俺の教室は、と・・・。あれ?ここで正しいはずだぞ。
な、なんだと!
俺はもう一度教室に入り、改めて教室内を見回すと、絶句しそうになった。
学生20名は全員が男で、しかもガラの悪いチンピラ予備軍みたいな集団だった。
爆乳美女なんて一人もいねえ!
俺はあまりのショックに気絶しそうになりながらも、なんとか平静を装い、挨拶をした。
みなさん、はじめまして。私はサナダです。どうぞよろしく。
・・・・・・
まるで反応がなかった。
いや、聞こえなかったのだろうと思い、俺はもう一度、声のボリュームを上げて挨拶した。
えー、みなさん、はじめまして。私はサナダです。どうぞよろしく。
・・・・・・
やはり反応はまったくなかった。まず第一に、誰も俺を見ていない。
シーンとしらけた静寂は、次第に騒がしくなっていき、教室内にはバカでかい私語、くちゃくちゃとガムを噛む音、放り出された素足、無気力の瞳、机に突っ伏して爆睡するイビキ、スマホをいじる手、鳴り響く着信音、といった地獄絵図のようになった。
哀れな俺の姿を見て、にやにや笑う学生がひとりいた。
俺はついにブチギレた。
てめえら、なめてんじゃねえぞ、このクソガキどもがー!
俺はにやにや笑う学生の襟元をつかみ、殴りかかろうとした。
その瞬間、クラス主任の福田が入ってきて俺を制止した。
サナダ先生、落ち着いてください!たいへんなことになりますよ!
そこでこの日の授業は打ち切りになった。
校長に呼び出される
俺は校長に呼び出され、次また同じようなことがあったら、即クビだと釘を刺された。
ま、気楽にやってください。
俺の日本語教師デビューは最悪の一日となった。しかし、これで終わりではなく、俺の日本語学校での奮闘はようやく始まったばかりであった。
<つづく↓>
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