こんばんは、にほんごまるです。
トランプとバイデン、競ってますね。
というこで、今日はあえてアメリカはアメリカでも、アメリカ大陸の南米パラグアイの政治をご紹介します。
パラグアイの政治なんて、誰も興味ないかもしれませんが・・・。
先日のルーマニアの記事ではチャウシェスクを紹介しましたが、パラグアイにもその昔、ストロエスネルという独裁者がいました。
今日はそのストロエスネルというおっさんのお話です。
パラグアイの南部、アルゼンチンと国境を接するエンカルナシオンという町に、ドイツ系移民のおやじとパラグアイ人のおかんの間に生まれたのが、悪名高きストロエスネルだ。
ちなみに、パラグアイはドイツ系移民がけっこういるし、日系移民よりもずっと歴史も深い。パラグアイ北部のチャコ地方にはメノニータまでいらっしゃる。
メノニータとは、キリスト教の中でも超マイノリティーのメノー派を信仰する人々のことです。主にドイツ系移民です。
話はそれたが、ストロエスネルについてちょこっと紹介すると、このおっさんは、と紹介できない若干二十歳の頃、1932年ボリビアとの間に闘われたチャコ戦争に従軍し、軍功を立て1948年に准将となり、南米諸国で最年少の将官となった。
しかし同年に反乱軍の指揮を依頼され反乱は失敗に終わり、ストロエスネルは車のトランクに隠れるという、小学生でも思いつくような手段でブラジル大使館に亡命。以後「トランク大佐」と呼ばれるようになった。
その後、亡命中のうっぷんを晴らすかのような「トランク大佐」の快進撃が始まる。
パラグアイに帰国した1951年に陸軍総司令官に就任。ここから調子に乗り始める。1954年5月陸軍中将のとき、
ここでクーデター起こしたらこの国オレのもの〜!
と思いついて、軍事クーデターを起こし、国防相となったトランク野郎は実権を掌握した。
ロックンロ〜ル、が好きだったかは知らないが、親米、反共産という主義であったため、共産主義非合法化。そんでもって、すべての革新団体の禁止と新聞の自由の制限を実施して、がっちり独裁体制を確立しちゃった。もちろん、予算の半分以上は軍事費に。
小学生がおこづかいでプラモデル買うのと同レベルか!
その後、自作自演の選挙。コロラド党(日本でいう自民党。2008年の大統領選挙で61年ぶりにコロラド党が敗北)の党首であったトランク小僧は、対立候補なしで大統領に選出された。
これって、一人で竹やぶで竹を切って来て、一人で流しそうめんやってるようなもんだぜ。
それ以降、35年間も上方から自分でそうめんを流して、走って下におりてそれを箸ですくって食べる、という虚しいことを続ける。それを見て笑う者は、
おさらば、バイバイ〜!
と、国外追放に。
パラグアイの至る所にナチスの元隠れ家がプール・レストラン付きのホテルになって残っている(たとえばティロール)。親米だったにも拘わらずトランク野郎は、元ナチス親衛隊のヨーゼフ・メンゲレなどの国内逃亡と潜伏を迎えた。
トランク野郎のストロエスネルは、やっぱり隠れんぼ(の隠れる方)が大好きなんだろうな。
その親衛隊に影響を受けたわけでもないだろうけど、トランク野郎はインディオ虐殺や人権侵害に走る。結果、国際世論の批判を浴びる。
そんな悪名高きトランク小僧こと、ストロエスネルが未だに根強い人気があるのは、国内の近代化を推し進め、各種のインフラを整備したから、ではない。
未だのストロエスネル支持派曰く、
あの頃は泥棒が一人もいなかった。
とのことだが、ストロエスネルがパラグアイの全泥棒の役を申し分なく担っていたことに、気づいてないのか。
ストロエスネルは、反共産であったため、冷戦下の欧米に受け入れられ、ラッキーだった。そんでもって南米自体、民主化が遅れていたから、独裁政権も「ええじゃないか」的風潮があったのだろう。
だけど、1989年、ロドリゲス将軍にクーデターを起こされ、トランク野郎は再度(トランクの中に潜り込むという小学生でも思いつく手段を使ったかはしらないが)ブラジルに亡命。
ちなみに2007年、亡命先のブラジルで死んだ。エンカルナシオンに葬りたいとの親族の想いに反するパラグアイ国民も多かったようだけど、けっこうどうでもいいみたいだ、トランク野郎のことはもう。
以上、パラグアイの政治情報ストロエスネル編でした。こんな話、日本で誰か興味ある人いるのかな。
トランプとバイデンの競り合い、どんな結末になるんでしょうね。
以上、にほんごまるでした。
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