以前の記事で、東京2020ネタを書いた。
あまりにも真面目な内容だからか、プレビュー数を見るに、あまり興味を示されていないようだ。
だけど、世紀の東京2020について我々は真面目に考えていくべきはず。
ということで、今日の記事では、さらに一歩踏み込んで東京オリンピックについて真面目に考えてみよう。
あのアルゼンチンの抽選の地で、五輪を落札した瞬間に湧きあがったどよめきと歓声を聞いたときは、こんなにも意識が分断するとは誰も思ってなかったはずだ。
意識の分断というのは、五輪賛成派、反対派、無関心派、便乗派など、五輪開催にあたっての国民の意識が一枚岩になっていない状況だ。
その大きな問題としては、誰もが別々の方向を向いてることに、五輪開催が近づく途中まで、気づかなかったことにある。
そこで私は思いついた。
自分の政治性を表明するため、使用言語にラベリングするとよいのではないか。そうしたら、東京2020に対するスタンスが一目瞭然だ。
つまり、東京五輪という名詞を、各自の政治性によって言い換えることで、一目瞭然でその人の五輪に対する距離感や捉え方がわかる、というもの。
まず、20世紀の東京五輪からね根強い五輪ファンは、東京ゴリンピックと言うようにすること。
東京ゴリンピック
なんだかゴリゴリの右寄り感がナチュラルに伝わってくる。
次に、今回の2020の東京五輪から熱狂しだしたファンは、東京ピッコリン。
東京ピッコリン
なんだか第二世代的な響きがしないだろうか。
3つ目は、渋谷で騒ぎたいだけの若者は、東京オリンピー。
東京オリンピー
パリピー的なチャラさが醸し出てるのが良い。
四つ目は、五輪開催を可もなく不可もなくと考えてるニュートラルな人は、中日オリンピック。
中日オリンピック
中立的でどっちにも寄ってないからこそ、オリンピックという正式名を得ている。でも東京開催感がゼロ。
五つ目は、五輪反対派は、東京ムリンピック。
東京ムリンピック
やっぱムリ〜、というネガティブ思考に溢れた感じが、名は体を表している。
まだまだ色んなラベリングができるが、このへんまでにしておこう。
そんなラベリングした東京2020の呼び方をしてくれたら、オリンピックも爆盛り上がりになるはず。
次回の2080年の東京開催のオリンピックでは、各自のスタンスを五輪の名称にラベリングして楽しみましょう。
以上、にほんごまるでした。
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