元技能実習生アリフさんのライフストーリー【第1話】

スポンサーリンク

【第1話】訪日前の丸坊主、出発前の彼女の涙、訪日後の軍隊式規律

アリフさん(仮名)プロフィール
1984年 インドネシアに生まれる
2002年 工業高等学校卒業
2003年 インドネシア現地大学の工学部入学
2005年 大学中退
2005年 技能実習生として来日
2008年 インドネシアに帰国
2009年 インドネシア現地大学の日本語学科入学

工学から遠ざかる旅に出た それが日本への入り口になったんです

工業高校を卒業後、より専門的な工学を学ぶため、インドネシア現地の大学に進学。しかし、大学で工学を学び続けるうちに、高校の頃から感じていた違和感が膨らんでいった。

「工学に飽きたわけでも、嫌いになったわけでもありません。なんだか自分と機械が、相容れないように感じていたんです。もっと他に、自分に合った専門分野があるんじゃないかと」

そんな煮え切らない思いで暮らす中、技能実習生として3年間日本で働いた経験のある従兄弟から、技能実習生募集の知らせを聞いた。

「外国に行くことはきっといい経験になると思ったし、お金の面でも給料のいい日本で働きたいと思った。でも何よりも、何か新しいことにチャレンジしてみたいと思ったんです。このチャンスを絶対に逃したくなかった」

訪日前の丸坊主

その後、大学を中退し、技能実習生として訪日するための一般教養試験を受ける。試験に合格し、地元での一ヶ月の訪日前講習を受ける。そこで日本語や日本文化などを学んだ。

「訪日前講習で日本語の勉強を始めてすぐに、これは面白いと思いました。ずっと機械関係の勉強をしてきた反動か、日本語の勉強がとても新鮮なものに感じたんです」

地元での一ヶ月の講習を経て、首都のジャカルタで3ヶ月の本格的な訪日前研修に入った。

「僕と同期の技能実習生は全部で130名ほどだった。ジャカルタの研修所はごったがえしてました。こんなにたくさんの人が日本へ行くのかと少し驚きました」

その130名の技能実習生はジャカルタの研修所に入ったその日に、みんな強制的に髪の毛を丸坊主に刈られた。

出発前の彼女の涙

ジャカルタでの3ヶ月の研修を終えると、アリフさんは故郷に帰省する時間もないまま、他の130名の技能実習生と共に慌ただしく日本へと飛び立った。

「ジャカルタの国際空港まで、家族と彼女がわざわざ見送りにきてくれたんですけどね、家族は全然寂しそうじゃなかったんです。拍子抜けするぐらいに普通でした。でもね、彼女を見るとね、号泣してるんです。家族はいたって普通なのに、その中で彼女だけが一人号泣してるのが、なんだかすごく滑稽な情景に思えて・・・笑ってしまいました。そのお陰もあってか、旅立ちを前にすごくリラックスできたんです」

訪日後研修

日本でのラマダーン

日本へ到着したのは、2005年秋。その後、ブリーフィングを含めた1ヶ月間の訪日後研修が千葉県で行なわれた。朝は5時半起床で、点呼が行なわれた。

「毎朝5時半の起床は、日本人が想像すると大変なんじゃないかと思うかもしれませんが、ムスリムの僕にとってはお祈りで毎朝5時に起きるのは小さい頃からの習慣なので、まったく苦ではありませんでした」

しかし、日本を発つ少し前に、ラマダーン(断食月)が始まった。日本へ行く飛行機の中でも日中は断食をして、飛行機の窓から日が沈んだのを確認してから機内食を摂った。千葉の研修センターでの一ヶ月の訪日後研修中も断食をつづけた。

「センターの食堂のおばさんたちは、断食のための早朝ご飯を用意してくれたんです。あれは嬉しかったなあ」

結局、日本でラマダーンの断食を行なったのはこの最初の一ヶ月だけとなった。その翌年からは日本の生活にのまれ、断食をできるような環境にはなかった。

「断食月に断食ができないことは、もちろん苦痛でした。でも、それよりも、断食明けのレバランというお祭りで、母国にいる家族たちがみんなで集まってお祝いをしている知らせを聞いたときは、一人異国の地に取り残されたような気持ちになり、ホームシックになりました」

しかし、それでもアリフさんはそれを、仕方がないと割り切る。そういうことも全部含めて技能実習生としての3年間なのだと。

軍隊か刑務所のような規律

研修センターでの講習は、土日は休みだったが、門限があったのであまり外へは出られなかった。センターから外出するときは、玄関でサインをすれば1時間の外出許可がもらえたが、2時間外出するためには、一度センターに戻って、再度1時間分の外出申請のサインをしなければいけない、という仕組みだった。

「面倒な仕組みでしたので、外出する気になりませんでした」

まるで軍隊か刑務所のような規律を求められるセンターでの生活にストレスを溜める者も少なくなかった。

「でもね、初めにそのくらいしないと、その後の技能実習生としての仕事や、日本での生活がうまくできないんじゃないかと思いました。監理団体側はきっとそこまで考えてるんだろうなって」

訪日後研修の日本語学習

センターでの訪日後研修の内容は、主に日本語で、日本語能力試験4級(現在のN5相当)対策の勉強や、日本の文化や習慣を学んだ。

「研修はとても楽しかった。この生活が3年間ずっと続けばいいのにと思うくらいでした。勉強だけ黙々とすればよい環境は、僕にとってはとてもありがたいことでした。食事も美味しかったし、同期のインドネシア人の仲間とも仲良くなりましたから」

第2話につづく

コメント

タイトルとURLをコピーしました