みなさん、こんばんは。にほんごまるです。
9月の連休だというのに、お天気が良くないですね。
9月は登山に出かけようと思っていたのですが、あいにくお天気が悪いので、キャンセルとなりました。
ピンポイントでこの連休に悪天候を合わせてくるって、異常気象もついにねちっこい嫌がらせを始めたか、と思わざるを得ないですね。
突然ですが、私は山登りが好きです。
雪山を登るようなゴリゴリのアルピニストではないですが、自然の中に身を浸す感じが好きで、これまでずっと山を愛して生きてきました。
せっかくの登山の計画が悪天候でキャンセルになったので、今日は「登山と外国語学習」について考えてみようかなと思います。
登山について
なんで、山なんか登るのー?
そこに、山があるからさ。
山を登る理由なんて、人に説明して理解してもらうものではないんです。アイドル好きの人に、「なんでそのアイドルが好きなの?」って質問するくらい、属人的なことなんです。
計画を立てて、装備をして、登り、そして下り、下山後にはその登山を振り返る。そしてまた、次の登山の計画を練り始める。
登山がやっかいなのは、エンドレスなこと。潮時がないのです。
そう考えると、登山者にとっての下り道って、存在しないのではないかと思う。登山者は、永遠に山を登り続けていて、山を引退する「下山」の際に、ようやく下り道を味わう、という感覚でしょうか。
外国語学習と登山
なんだか、登山って、外国語学習と似てますね。
登山は、計画を立てて、装備をして、登り、下り、振り返る、の繰り返し。
外国語は、学習計画を立てて、教材リソースを準備し、学習を始め、目標に到達し、振り返る、の繰り返し。
なんで、外国語なんて勉強するのー?
他人からしたら、そんな風に思うかもしれない。
でも外国語を学習する動機付けって、色んな要素があるにせよ、それを一段、抽象化したら、
「陶酔感」
の一言につきるのではないか。
そして、山登りも同じく、その登る理由を抽象化すると、それは、
「陶酔感」
の一言につきる。
「そこに山があるから」ってマロリーの名言があるけど、それも要は「陶酔感」ばりばりなわけで。
この「陶酔感」とは、ナルシシズムとは似て非なるものです。
ナルシシズムは基本的に、自意識に依存していて、その「自己」を通して「他者」が際立ち、その他者がとても重要なファクターとなります。
でも、ここでいう陶酔感は、自意識に依存しておらず、「自」とか「他」とかを超越した超客観的な視点から感じるものであるのです。
なんというか、スピリチュアルに傾倒して胡散臭くなるのはいやだけど、例えば「前世との結びつき」というような感覚とも似てるかもしれませんね。
なんの話してましたっけ・・・?
ああ、そうそう、「山登り」と「外国語学習」についてでしたね。
まとめ
今日は、山登りがキャンセルになった腹いせに、強引に「山」と「外国語」を関連づけて記事にしてみました。
結論としては、
●「登山」と「外国語学習」は似てるということ。
●そして、それを下支えしているのは、「陶酔感」であるということ。
●その「陶酔感」は、自他の意識を飛び越えた前世との結びつき的な領域で感じることである。
というお話でした。
以上、にほんごまるでした。
じゃ、またね!
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