インダーさん(仮名)プロフィール |
1982年 インドネシアに生まれる |
2000年 高校卒業後、日本語学校に通う |
2001年 国立大学文学部日本学科入学 |
2004年 国立大学中退 |
2004年 技能実習生として来日 |
2005年 監理団体の不祥事により技能実習終了となるも不法滞在 |
第1話 見果てぬ希望
日本に興味を持ったのは、日本人観光客とのケンカから
インダーさんが日本や日本語に興味を持ったきっかけは、高校生のとき。
「あの頃はまだ子どもでね、恋愛にも全然興味がありませんでした。すべてのことに対してとにかく素直でした。もちろん今でも素直な気持ちはちゃんと持っていますけど(笑)、今はもうあの頃みたいに夢見心地じゃないわ」
ピュアな高校時代のインダーさんは、その後、大学中退、技能実習生として来日、不法滞在、強制送還と、多くの苦難を経験することになる。
まだピュアだった高校時代のインダーさんは、修学旅行でボロブドゥール遺跡へ行き、そこで初めて日本人観光客を目にした。
「その日本人はおじさんでしたが、外国人が珍しくて話しかけてみたんです。高校で習った英語を使って。でもその日本人は私の英語がわからずに怒ってしまい、私に色々と日本語で文句を言ってきたんです。もちろん私も負けずにジャワ語で文句を言い返しましたよ」
修学旅行から帰った後も、インダーさんの心には何かが引っかかっていた。それは日本人観光客とケンカしたことを気にかけていたのではなく、あの日本人が発した言葉はいったいどんな意味だったのか、そしてあの日本人はどうしてあんなに怒ったのかということが、ずっと気になっていた。
「日本人や日本語について知りたいなって素直に思ったんです。これが私と日本を結びつけたきっかけだなんて、なんだかへんてこりんですけどね」
充実した大学生活を送っていた矢先に、突然それはやって来て、私を導いたんです
高校を卒業すると、インダーさんは日本語学校に通い始めた。しかし1年経ってもいっこうに日本語は上達せず、本格的に日本語を学ぶため、地元の国立大学の日本学科に入学し、日本語を専攻した。
最初のセメスターだけ親に授業料を払ってもらい、その後は自分でアルバイトをしながら大学に通う毎日となった。
「授業料を稼ぐためのアルバイトをしながら大学に通うのはしんどかったけど、それでも毎日が充実していました。自分はちゃんと自分の力で生きているんだって実感できましたから」
大学での日本語の授業は時間数も多く、みっちりと楽しく勉強できる環境にあった。日本語のレベルは向上し、日本語能力試験3級に合格した。
「その頃、初めて恋人ができたんです。とにかくその人が好きで、ずっと一緒にいたいって思いました。でもね、色々なことが順調に進んでいると思っていた矢先に、突然それはやって来たんです」
多くを断ち切って日本へ行くことを決心
ある日のこと。大学でばったり会った友達から、日本の外国人技能実習制度の話を聞いた。
「でもね、その話を聞いたとき、私は自分とは関係のない話だと思ったんです。技能実習生の仕事は男性のためのもので、女性にできる仕事はないと思いましたし、仮に行けたとしても、男の仕事を女がするなんて私には絶対にできないと思ったんです」
しかし友達の話をよく聞いてみると、男性と女性の仕事は同じではないとのことだった。給料などの具体的な内容を聞くと、それはインドネシアとは比べ物にならない額だった。
「なんだかね、それを聞いたとき、インドネシアで働くのが馬鹿らしく思えるほどショックだったんです」
アルバイトをしながら大学に通うという生活に充実感を得ていたものの、体力的にも経済的にも苦しかった中で聞いたその話は、やはり魅力的に感じたのかもしれない。
「現実的に考えると、あの頃の私は日本語を勉強しても、日本へ行くチャンスは無いに等しかったんです。せっかく日本や日本語に興味を持って、時間やお金をかけて勉強してきたのだから、技能実習制度でも何でも、このチャンスに日本へ行くべきなんじゃないかなって思ったんです」
技能実習生として日本へ行くため、3年間通った大学を、卒業間近にして退学することとなった。当時の日本学科は設立されたばかりでルールが厳しく、休学は認められなかった。単位はほぼ取得していたため、この段階での退学をインダーさんは非常に悔やんだという。
「それでも、日本行きのチャンスを逃さないため、意を決して退学しました。良くも悪くも、何かを引きずったままではなく、多くを断ち切って日本へ行くことになったんです」
日本へ行くに際して、大好きだった大学の恋人とも別れたという。「日本で生活する」という見果てぬ希望だけが、当時のインダーさんを支えていたのかもしれない。
第2話 来日当初の涙の毎日
不安と心配をいっぱいに抱えての来日
一ヶ月の地元での訪日前研修を経て、2004年夏に日本へ発った。
「飛行機に乗っている間中、心配ばかりしていました。日本での暮らしも、仕事の内容も、まったく知りませんでしたから。技能実習生としてこれからの3年間、本当にやっていけるのか、とても不安でした」
翌日の朝、関西国際空港に着き、その足で広島県へと向かった。そこで一ヶ月間の訪日後研修で日本の文化や生活習慣などの講習を受け、2004年9月に就労先の受入企業に行った。
「その時になんかおかしいなって思ったんです。同じインドネシアから来た女性10名の技能実習生はみんな同じ就労先のはずだったんですけど、その町に行ったのは私ともう一人のインドネシア人女性の二人だけでしたから」
監理団体はこのことについての明確な説明をせずに言葉を濁した。このことが、その後の彼女たちを大きく左右する出来事になろうとは、その時のインダーさんには想像もできなかった。とにかく、新しく迫り来る物事に対処するだけで精一杯だった。
泣きながら仕事をする毎日
就労先の工場は車の部品製造の会社で、アルミ製品のばり取りをするのがインダーさんの主な仕事となった。
「想像していた以上に、工場の仕事は大変でした。工場内の機械はでっかくて、持つのも大変だったし、扱うのも大変でした。これは絶対に女の仕事じゃない、男の仕事だって思いましたよ。騙されたって思いました。でもね、たくさんの日本人のおばさんたちが働いているのを見て、なるほどって思いました」
時には見よう見まねで溶接もやらされた。
「無茶な話ですよ。素人に溶接をやらせるなんて。それでもうまくやらなきゃいけない状況に追い込まれていたんです。苦しかったです」
最初の頃はとにかく仕事を覚えようと必死に働いた。それでも間違えたり、失敗した時には日本人のおばさんたちに冷たく怒られた。
「これダメね、これもダメ、何やってるの、と口うるさく言われて『うるさいおばさん!』と言いたかったけど、仕事だから我慢しました。いつもいつも「はやくはやく!」と言われるのが本当に嫌で、泣きながら仕事をしていました」
心の優しい誠実な社長
最初のうちは辛い日々を過ごしたが、徐々に仕事にも慣れていったインダーさん。
「不思議なんですけどね、仕事に慣れたら、周りの日本人がみんな優しくなったんです。『もう慣れたね、えらいね』と言ってくれたり。なんだか日本人の仲間に入れてもらえたような気がして嬉しかったです。そうなってくると、ずっとこの会社にいたいって思い始めました。社長も優しかったし、嫌な職員もいなかった」
日本人が会社に捧げる強い忠誠心というものをインダーさんはこのときに強く実感したという。
恋もした。相手は工場で働く日本人男性だった。
「その人はね、スマイルもなくて、いつも冷たい態度の人で、最初は敬遠していたんですが、よく難しい仕事の作業を助けてくれたりして、本当は優しい人だったんです。私はその人の仕事を見るのがとても好きでした。早くて的確で、そしてなんだかカッコ良かったんです。それに、彼は背が高くて、ハンサムでした」
「でもね、結局、告白はできなかったんです。それでも、バレンタインデーにチョコレートをあげました。チョコレートは会社のみんなに配ったんですけど、彼だけには特別に高価なチョコレートをプレゼントしたんです。たぶん彼はそれに気がついてないと思いますけどね」
面白かったのは、社長。インダーさんがあげた数百円のチョコに対して、社長はホワイトデーで現金5,000円をプレゼントにくれた。
「もちろんお金をもらえたこともそうですが、社長の心遣いがとっても嬉しく感じました」
お正月には、社長が家族と一緒にご飯を食べに連れて行ってくれた。
「社長はすごく心の優しい誠実な人で、私の契約期間の6ヶ月が過ぎる頃に、契約延長の打診を監理団体にしてくれたんです。そのくらい私のことを信頼してくれていたんです」
しかし、契約延長に対する監理団体の答えはノーだった。その後インダーさんは監理団体が定めた新しい職場へ移ることとなる。
第3話 狂いはじめた歯車
油を使う肉体労働は3K
岡山県に職場が移り、新しい生活が始まった。
「近くに瀬戸大橋があってね、きれいな海もあったんです。キッチン、トイレは共同でしたが、山中のコテージ風の一人部屋に住めて嬉しかったです」
しかし仕事は大変だった。アイロン製造のための部品成形の作業は地道で骨の折れる仕事だった。
「広島の工場と比べて労働時間が長くて、朝8時から定時は5時までだったんですけど、いつも残業が9時まであったし、油をたくさん使う肉体労働は汚くて大変でした。」
「でも、工場の人はみんな優しかった。仕事はすごく大変だったけど、気分はよかった。社長の奥さんはとくに優しくてね、よく一緒に買い物に行ったりもしたんです。服や靴を買ってくれてね。社長夫婦の子どもは男の子ばかりで、娘がいなかったから私を娘と思って優しくしてくれたのかな」
大嫌いな会長
6ヶ月の契約で働きはじめたその工場も、派遣会社の都合で、10人いた他の技能実習生に仕事をまわすため3ヶ月で辞めることとなり、ゴールデンウィーク後、岡山県内のアルミや鉄を扱う工場で働き始める。
新しい工場での仕事は、前の工場の作業と似ていた。ばりとり、溶接、プレスの仕事も前の職場で経験積みだった。そのため比較的楽に仕事をこなすことができた。
「ここでもみんな優しかったけど、すごく嫌な会長がいたんです」
朝礼で決まったクビ
ある日のこと、いつも仕事を指示する課長が不在の中、その日は他の日本人社員に仕事を指示され、ばり取りの仕事をしていた。ばり取りの仕事は体にかかる負担が大きいため、自分なりに工夫して簡単な姿勢で作業を行なうやりかたを見つけた。
「それをね、会長がドアからそれをこっそり見ていて、私が遊んでると思ったんです。そしてすぐに怖い顔をして怒りはじめた。すぐにすみませんと謝ったんですけど、私の話を聞いてくれませんでした」
その翌日、朝礼でインダーさんのクビが決まった。
「会長が『彼女には辞めてもらいます』って言ったときの悔しい気持ちは今でも忘れられないんです。でもね、ずっと私を信頼して仕事を指示してくれたり、色々と世話をしてくれた課長に申し訳なくて」
課長はインダーさんに「なんでこんなことになったのか」と訊ね、インダーさんは事の経緯を説明した。課長は悔しそうな表情で、目に涙を浮かべた。
「会長の決めたことは納得できない。インダーのことを信じてる。でも課長だから何もできなかくて、ごめんって言ってくれたんです。彼は本当に優しかった。私の兄みたい。課長のその優しさに接することができたので、前を向いてまた歩きはじめることができたんです」
その後、監理団体に頼んで、新しい職場を探してもらった。
第4話 心の優しい犯罪者
ある噂
日本に来て1年が経とうとしていた頃、インダーさんの耳にある噂が入ってきた。技能実習生として本来3年間日本に滞在できるところ、彼女たちは1年しかいられず、もう帰らなければいけなくなると。日本での生活は辛かったが、まだ国に持ち帰るための貯金が十分でないこの状態では、どうしても帰国する気になれなかったインダーさんは、なんとか日本に居残る方法はないかと、色々と情報を集め始めた。
逮捕
本来、監理団体は技能実習生10名を同じ工場に派遣しなければいけなかったのだが、受入企業から受けるコミッションを増やすため、10名の技能実習生をそれぞれ異なると企業へと派遣した。その不正に対し、国からクレームが入り、監理団体の社長は逮捕され、会社は倒産し、技能実習生は帰国を余儀なくされることとなった。
心の優しい犯罪者
以前お世話になり、親しくしてくれた社長の奥さんとレストランで食事をしながら、不法滞在者として日本に居残ることを話した。
「社長の奥さんはね、『インダー、国に帰った方がいいよ』と私のことを心配して言ってくれました。そして社長の奥さんが、『みんなあなたを捜してるわよ』って言ったとき、自分が凶悪犯罪者にでもなったような気がしました。でも奥さんはね、『インダーは心の優しい犯罪者だよ』って言ってくれ、最後に『気をつけて』と心遣いをくれました」
ホームレスの気持ち
秋風が吹きはじめ、つるべ落としの夕暮れが物悲しい9月の終わり、インダーさんは現金10万円と貴重品、そして最低限の荷物をトラベルバッグに詰め込み、新幹線に乗って名古屋へ向かった。
「新幹線に乗ったのはそれが最初で最後。ずっと乗ってみたかった新幹線には、もっと楽しい気分で乗るものだと思ってたのですが、その時は多呼吸になって、息ができないくらい不安を感じていました」
超特急で流れる新幹線の車窓を見ながら、インダーさんは、耐え難い孤独と不安を感じていた。
名古屋に着くと、そこから不法滞在者が多く潜伏するというA市へ向かった。パスポートは監理団体に渡していたので、就労先から逃亡を試みた今、身分を証明するものは何もなかった。お金も住所も身分証も何もない。
「そのときはね、なんだか自分が本当にホームレスになったような気がしました」
第5話 不法滞在のはじまり
潜伏中にブローカーから渡された偽名
そのようにしてインダーさんの日本での不法滞在の日々は始まった。
同期の技能実習生はみんな国へ帰った中、インダーさんだけは日本でばり取りの仕事を見つけ、身を隠すようにして暮らした。
「A市でね、知り合いになった人にブローカーのところに連れて行ってもらったんです。ブローカーなんて怖かったけど、仕事が見つからないことには生活もできませんから」
案の定、ブローカーは見た目は堅気と思えない風貌で怖かったが、表向きは優しい人のようで少し安心したが、何だかよくわからないIDと偽名を渡された。
<完>
※この後のエピソードは、不適切な内容も含まれるため、非公開になりました。
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